6月或る日
2009年 06月 15日
「先生、私このまま死んだりせぇへんやんな?」
忘れもしない、二年前のある日の夕方。
彼女は医師へ、そう訊ねたんだった。
病状は、すでに進行していた。
でも先生は、彼女にこう告げた。
「死なないために、これから一緒に頑張るや。」
彼女の闘病が、その時から始まった。
若い身体は癌の増殖力も強く、なかなか抗がん剤は効いてはくれなかった。
でも絶対に彼女は諦めず、使える薬がなくなるまで闘い続けた。
「忙しいのに、ごめんな。いつもありがとう。」
彼女に何度、そう云われただろう。
どうしても譲らなかった屋上への散歩時間。
急変のリスクがある彼女には、とても危険な行為だった。
でも初めて一緒に昇った時、私は心の中でとても申し訳ない気分になった。
吹き抜ける風は、こんなにも心地がいいんだ。
「〇さんがここに来たい理由が、私やっと解かった気がするよ・・・。」
そう告げると、穏やかで優しい顔をして彼女は頷いた。
余命という言葉は好きじゃない。
けれど彼女に残された時間は、もう日にち単位だった。
昨日の夜明け前。
私は彼女と二人っきりで、60分の間一緒に過ごした。
「痛い。お腹が痛い。胸が痛い。ここさすって欲しい・・・。」
「怖い。夜が来るのが怖い。寝るのも怖い。」
「しんどい。全部しんどい。どうしたらいいん・・・。」
「苦しい。お腹が苦しい。息が苦しい・・・・。」
「一人になるのが怖い。ごめんな、忙しいのに。」
「空気吸いたい、空気が吸いたい・・・・。」
「さすってもらうと、ホンマに安心する。」
「ありがとう、ありがとう。」
彼女は何度もそう呟いた。
私の白衣をぎゅっと握り締めながら、すうっと短い眠りに落ちてゆく。
呼吸は規則的で、でも喉の奥でかすかに汽笛が鳴っていた。
意識が戻ると、よく見ればかすかに鼻翼呼吸が始まっていた。
5:21
TVのデジタル時計が一分づつ時を刻むのを、私はぼんやり眺めた。
大きく膨らんで硬くなったお腹を、何を願ったのか私はさすり続けた。
私のその手の動きは、強い陣痛を癒す手の動きと同じだった。
彼女の眠る姿を見て、何だか急に泣けてきた。
死に近づいている彼女を見て悲しくなった訳じゃない。
今日もこんなにも生きてるんだと実感した。
いつの間にか夜は過ぎ去って、窓の外からチュンチュンと啼く小鳥の声がした。
いつもより遅めの仕事を終えて、強い日差しを浴びながら帰路に着く。
家のベッド上で、ぼんやりと緩和ケアの本を開いた。
この数年で彼女と交わした会話の一つ一つが、驚くほど急速に甦ってきた。
ただ本を開いているだけなのに、何かがまた胸を締め付けた。
その頃彼女は、どんどん深い眠りになっていったそうだ。
私が日勤で来た翌日の朝。
病棟は何となく静けさが漂っていた。
誰も何も言わないけれど、私はそれに気が付いてしまった。
いつも在るべきベッドネームが無くなっていて、そこにもう彼女は居なかった。
彼女と過ごしたその日は、奇しくも友だちが逝ってしまったその日と同じ朝だった。
彼女が息を引き取ったその日は、奇しくも初花が生まれたその日と同じ夜だった。
座りながら、短い休息をとる揺れる身体。
誰かの存在を探す仕草。
風の通る場所で一服する細い指先。
最期まで立って、歩こうとする姿。
私に投げかけ、時には語ってくれた言葉。
いつも顔を見ると「〇〇ちゃん。」と手を振ってくれた、あの表情。
また、一生忘れらない日が生まれてしまった。
忘れたくない。
あの時々に感じた、誰にも云えない大切な時間。
忘れもしない、二年前のある日の夕方。
彼女は医師へ、そう訊ねたんだった。
病状は、すでに進行していた。
でも先生は、彼女にこう告げた。
「死なないために、これから一緒に頑張るや。」
彼女の闘病が、その時から始まった。
若い身体は癌の増殖力も強く、なかなか抗がん剤は効いてはくれなかった。
でも絶対に彼女は諦めず、使える薬がなくなるまで闘い続けた。
「忙しいのに、ごめんな。いつもありがとう。」
彼女に何度、そう云われただろう。
どうしても譲らなかった屋上への散歩時間。
急変のリスクがある彼女には、とても危険な行為だった。
でも初めて一緒に昇った時、私は心の中でとても申し訳ない気分になった。
吹き抜ける風は、こんなにも心地がいいんだ。
「〇さんがここに来たい理由が、私やっと解かった気がするよ・・・。」
そう告げると、穏やかで優しい顔をして彼女は頷いた。
余命という言葉は好きじゃない。
けれど彼女に残された時間は、もう日にち単位だった。
昨日の夜明け前。
私は彼女と二人っきりで、60分の間一緒に過ごした。
「痛い。お腹が痛い。胸が痛い。ここさすって欲しい・・・。」
「怖い。夜が来るのが怖い。寝るのも怖い。」
「しんどい。全部しんどい。どうしたらいいん・・・。」
「苦しい。お腹が苦しい。息が苦しい・・・・。」
「一人になるのが怖い。ごめんな、忙しいのに。」
「空気吸いたい、空気が吸いたい・・・・。」
「さすってもらうと、ホンマに安心する。」
「ありがとう、ありがとう。」
彼女は何度もそう呟いた。
私の白衣をぎゅっと握り締めながら、すうっと短い眠りに落ちてゆく。
呼吸は規則的で、でも喉の奥でかすかに汽笛が鳴っていた。
意識が戻ると、よく見ればかすかに鼻翼呼吸が始まっていた。
5:21
TVのデジタル時計が一分づつ時を刻むのを、私はぼんやり眺めた。
大きく膨らんで硬くなったお腹を、何を願ったのか私はさすり続けた。
私のその手の動きは、強い陣痛を癒す手の動きと同じだった。
彼女の眠る姿を見て、何だか急に泣けてきた。
死に近づいている彼女を見て悲しくなった訳じゃない。
今日もこんなにも生きてるんだと実感した。
いつの間にか夜は過ぎ去って、窓の外からチュンチュンと啼く小鳥の声がした。
いつもより遅めの仕事を終えて、強い日差しを浴びながら帰路に着く。
家のベッド上で、ぼんやりと緩和ケアの本を開いた。
誰もが1回だけ経験する死
この数年で彼女と交わした会話の一つ一つが、驚くほど急速に甦ってきた。
ただ本を開いているだけなのに、何かがまた胸を締め付けた。
その頃彼女は、どんどん深い眠りになっていったそうだ。
私が日勤で来た翌日の朝。
病棟は何となく静けさが漂っていた。
誰も何も言わないけれど、私はそれに気が付いてしまった。
いつも在るべきベッドネームが無くなっていて、そこにもう彼女は居なかった。
彼女と過ごしたその日は、奇しくも友だちが逝ってしまったその日と同じ朝だった。
彼女が息を引き取ったその日は、奇しくも初花が生まれたその日と同じ夜だった。
座りながら、短い休息をとる揺れる身体。
誰かの存在を探す仕草。
風の通る場所で一服する細い指先。
最期まで立って、歩こうとする姿。
私に投げかけ、時には語ってくれた言葉。
いつも顔を見ると「〇〇ちゃん。」と手を振ってくれた、あの表情。
また、一生忘れらない日が生まれてしまった。
忘れたくない。
あの時々に感じた、誰にも云えない大切な時間。
by black-dolphin
| 2009-06-15 22:02
| 和の話