幸せギュウギュウの御節
2009年 01月 05日
さて、ウイカさんと暮らす 華の独り身(笑わなーい、そこ。)であるZiziさんですが、
例に及ばず年末年始は、夜をお守りする勤務でした。
なかば立候補/恒例です、この勤務。
早く自立したくて、まだ見ぬ広い世界に飛び込みたくて、18歳で私は家を出ました。
家族の中での私の印象は、超マイペース/危なっかしいことばかりする子のようです。
その上家族からすれば、私は 「18歳の頃のZizi」 から止まっているのか
「Zizi が本当に一人暮らしできているのか、不思議・・・。」といつも云われます。
そうそう、たまに生存確認をされたりもします。
大掃除をした。と云えば、「嘘~!」
おせちを作った。と云えば、「本当~?」 と耳を疑われる始末。
それもそのはず、私は家族で一番鈍くさく何をするにも一番遅い人物なのでした。
年末に母との電話で今年も帰れない事を告げたところ
例年になく、あっさりと返事されました。
夜勤明けの朝、電話が鳴りました。
「終わった?」と母の声。
どうかしたのかと尋ねると、「今からおせちを届けます。」と電話を切られました。
1時間を過ぎた頃インターホンが鳴り、モニターには確かに母がそこに立っていました。
ウイカとひとしきりじゃれ合って、冷蔵庫に何やら収納。
テーブルに風呂敷の包みをささっと開き、
小さなお重のふたを開けて、
置かれた寿のお箸には、小さい頃にしてもらっていたように
父の文字で私の名前が書かれていた。
「今日の朝、Ziziの分を作ったよ。
ごまめは、父が作ったって言うといてって父からの伝言。
お雑煮も作ろうかー。」
と白味噌なども持参してくれ、台所へと消えてゆきました。
分厚いハムや紅白の蒲鉾、
鰤の塩焼きや海老、
優しい味わいの数の子、
冷めても美味しい煮しめ、
栗の下には黒豆が隠れていたりして、
私が好んで食べていたメニューが、ギュウギュウ詰めにされていた。
プラスチックの飾りづけを見て、よく可愛いと云っていた私。
お重の中には、南天を模したプラスチックの飾りがちょこんと添えられていた。
ぴかぴかの炊き立て御飯も用意してくれていて、私は心の底から
「いただきます。」と手を合わせました。
「美味しい。」と何度も云いながらモリモリ食べる私を見て、
「そう云ってくれて、嬉しいわー。父にも言うとくよ。」と
母は何ともいえない笑顔を見せてくれました。
いつもは、夜勤明けは眠らない私。
父母からの美味しいお届け物でお腹は満たされ、心も満たされ
私はそのままウトウトとお昼寝をしていました。
夜勤続きで、新年を迎えながらも何だかサイクルが少し狂っていた私。
両親のお蔭でお正月を実感でき、新年からやや数日遅れて
私もようやく新年を迎えられたような気分がしました。
夕方に母が帰った後に何気なく冷蔵庫を開けると、
そこには数日分の食材と苺のショートケーキがありました。
今度は私が、沖縄風のおせちでも作っていつか驚かせてみよう。
料理上手な父母が「美味しい。」と零すくらいに、今年も精進です。
例に及ばず年末年始は、夜をお守りする勤務でした。
なかば立候補/恒例です、この勤務。
早く自立したくて、まだ見ぬ広い世界に飛び込みたくて、18歳で私は家を出ました。
家族の中での私の印象は、超マイペース/危なっかしいことばかりする子のようです。
その上家族からすれば、私は 「18歳の頃のZizi」 から止まっているのか
「Zizi が本当に一人暮らしできているのか、不思議・・・。」といつも云われます。
そうそう、たまに生存確認をされたりもします。
大掃除をした。と云えば、「嘘~!」
おせちを作った。と云えば、「本当~?」 と耳を疑われる始末。
それもそのはず、私は家族で一番鈍くさく何をするにも一番遅い人物なのでした。
年末に母との電話で今年も帰れない事を告げたところ
例年になく、あっさりと返事されました。
夜勤明けの朝、電話が鳴りました。
「終わった?」と母の声。
どうかしたのかと尋ねると、「今からおせちを届けます。」と電話を切られました。
1時間を過ぎた頃インターホンが鳴り、モニターには確かに母がそこに立っていました。
ウイカとひとしきりじゃれ合って、冷蔵庫に何やら収納。
テーブルに風呂敷の包みをささっと開き、
小さなお重のふたを開けて、
置かれた寿のお箸には、小さい頃にしてもらっていたように
父の文字で私の名前が書かれていた。
「今日の朝、Ziziの分を作ったよ。
ごまめは、父が作ったって言うといてって父からの伝言。
お雑煮も作ろうかー。」
と白味噌なども持参してくれ、台所へと消えてゆきました。
分厚いハムや紅白の蒲鉾、
鰤の塩焼きや海老、
優しい味わいの数の子、
冷めても美味しい煮しめ、
栗の下には黒豆が隠れていたりして、
私が好んで食べていたメニューが、ギュウギュウ詰めにされていた。
プラスチックの飾りづけを見て、よく可愛いと云っていた私。
お重の中には、南天を模したプラスチックの飾りがちょこんと添えられていた。
ぴかぴかの炊き立て御飯も用意してくれていて、私は心の底から
「いただきます。」と手を合わせました。
「美味しい。」と何度も云いながらモリモリ食べる私を見て、
「そう云ってくれて、嬉しいわー。父にも言うとくよ。」と
母は何ともいえない笑顔を見せてくれました。
いつもは、夜勤明けは眠らない私。
父母からの美味しいお届け物でお腹は満たされ、心も満たされ
私はそのままウトウトとお昼寝をしていました。
夜勤続きで、新年を迎えながらも何だかサイクルが少し狂っていた私。
両親のお蔭でお正月を実感でき、新年からやや数日遅れて
私もようやく新年を迎えられたような気分がしました。
夕方に母が帰った後に何気なく冷蔵庫を開けると、
そこには数日分の食材と苺のショートケーキがありました。
今度は私が、沖縄風のおせちでも作っていつか驚かせてみよう。
料理上手な父母が「美味しい。」と零すくらいに、今年も精進です。
by black-dolphin
| 2009-01-05 23:47
| ごはん