目指すのは「unique」な音。 大切なのは、日常。                                               
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どこいっちゃうの?

私は或る記事―お墓さま―にカウンターをうけました。

その記事は、「ねぇ、人は死んだらどこ行っちゃうの?」という、
幼いころの彼の素直な問いかけから始まります。

幼い彼の問いかけと大人になった彼の考えに、共感しました。
皆さんのコメントも拝見して、それぞれ考えてるんだなぁ凄いなぁ・・・・と
私は考え込んでしまいました。
そして残したコメントは、「・・・ねぇ・・・どうなっちゃうんでしょうねぇぇ・・・。」
何だか自分が情けなくなってしまいました。

無宗教の私にとって、言葉につまる問いかけ。
ずっと絡まった糸みたいに、放っておいた問いかけ。
率直で、重みのある問いかけ。

ずっと頭の中をぐるぐるして答えが出せない問いかけに、
幼い頃の彼にたずねられた気がしました。

今まで教えてもらったこと、学んだこと、感じたこと、想ったこと―
「人は死んだらどこいっちゃうの?」という問いに対して、
今想うことを忘れないように文章にしてみます。

b0088089_523358.jpg

        この機会を与えてくださったasiaxさん、ありがとうございます。

自己分析な、長駄文は以下に・・・・・・。




先ほどにも述べましたように、私は無宗教です。
家筋は「臨済宗」らしいのです。
禅のこころは素晴らしく見習いたいと思うのですが、
勉強不足のため胸を張って信仰しているとは言えません。
宗教における神とは、全能で偏在(どこにでも居る)です。
無宗教の私にとって、神の存在は漠然としていて、
自分の内(なか)に在る神がだれなのか/何なのかはわかりません。

私と同じく無宗教者が多い現在の日本。
哀しい事件などが取り沙汰され、本来の宗教の姿は追いやられています。

私は研究を学ぶうえで、宗教とは何かを学びました。
研究とは、仮説検証という形式で人間が「真理」を追求していく思考そのものです。
つまり、物事に対する問いへの「答え」を大切にする。

一方、宗教は「仮説」を大切にします。
つまり「死んだらどうなるのか?」という問いに対する、
死を乗り越えるための物語を大切にする。

宗教から考える「お墓」について考えてみると、
「死んだらどうなるのか?」の物語がよく解ります。

・キリスト教のお墓 ― 最後の審判までカプセルとしてもつ
・仏教のお墓 ― りんね転生する(生きられる)から、墓はない/いらない
・儒教(中国大陸、朝鮮半島、日本列島)のお墓 ―
  死ぬと、魂(コン;たましい)と魄(ハク;body)にわかれる
  魂はこの世のどこかにある、つまり魄の在るところ(遺体を埋めるところ)

自分の体が、カプセルだとは思えない・・・・・。
お墓は空っぽのようなイメージがあって、お墓参りに違和感はある・・・・・。
でも生まれかわることは想像できない・・・・・。
でもでも、死んだらもっと違う世界(自分)を体験してもみたい・・・・・。
魂はこの世のどこかにある。と思いたい気持ちもある・・・・・。

でも、私が私じゃなくなるの?私は無になるの?今の私が本当ではないの?

以前の記事でもふれましたが、
死ぬことは生きていれば必ず自分にも訪れることで、特に疑問はありません。
でも、死ぬのは怖くない。と言ったら自分に嘘をつくことになります。
この原因は、 「私自身が死んだらどこいっちゃうのか?」
―この問いに答えられていないからだと思います。

でも自分が無宗教であることに、幸せも感じています。
与えられた物語がなくって、信じる神さまが漠然としてくれたこと、
その事実に感謝もしています。
今まで生きてきて、いろんなコトを自分で感じて考えて思ったこと―
そのすべてが大切で、信じられるというか。
そしてそれは、様々な宗教にも匹敵するような強いこころが持てます。

この地球の、四季の移りかわる日本の、この両親の、この私に、生まれ落ちた。
そして自分であえて選んだ、この仕事。
生まれること/生きること/死ぬことを深く感じ、考えることのできる人生。
そんな天文学的な確立でいま存在するのは、もうそれだけで奇跡です。

私は科学者でも霊能者でもありません。
科学的に分析したり、目にみえないものを語ったりはしなくていい。

じゃあ私は、何を想うのか?

でも私の日常は、
あらゆる情報を、客観的・科学的・分析的にみている。
でも私の日常は、
あらゆる実感を、客観的・論理的には割り切ることができない。

両方を行き来できる日常を過ごせている私は、本当に幸せだと思う。
こんな奇跡は、やっぱり神さまに与えられたとしか思えない。

科学的に考えると、生命の誕生はビッグバンから始まった。
宇宙誕生の本を読んでは、ビッグバンにも感謝します。
その反面、地球に縁ある空や海を無条件に愛するのは、
どうやっても論理的には説明できない。

言葉にすると何だか怪しくなりますが・・・・・・。
万物を含むすべての広がり/天地、宇宙という大きな世界が、
やっぱり生きることを与えてくれた神さまかも知れない。
だからみんな、神の子であることには間違いない。

少年asiaxくんへの答えは、
ねぇ?どこいっちゃうのかなぁ。
でもねぇ、いま生きていることは絶っ対!奇跡なんやよ。
お姉ちゃんがみんなに‘さようなら’する時がきたら、
「今まで、どうもありがとう。」って恩返しに、
地球にある大きな海や大地に自分をお返ししたいなぁ。
あとはお星さまにならなくてもいいから、お空に還りたいね。

by black-dolphin | 2007-03-12 04:22 | 和の話
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